|
【前提の違い】 人は、何のために生きるのか? 充実感、達成感、あるいは幸福感を感じられる豊かな人生を送るため。 間違いではなさそうですが、思春期の子どもたちが納得する答えではありません。 豊かな人生という発想は、生きることを前提とした大人の考えであって、生きることを意識し始めた子どもたちにとっては、肌で感じられる「生きる証し」が欲しいのです。 【混乱】 Kさんは、私立女子高に通う2年生。母親に連れられて来院しました。 母親の話をまとめてみると、半年ほど前から、ことあるごとに、「なぜ私を生んだ」、「生きる意味がわからない」、「死にたい」など、母親に食ってかかるようになり、最近では、無断外泊したり、生活が乱れてきた、ということでした。 【プチ整形】 Kさんと一対一で面談しました。 学校へは時たま遅刻するが、だいたい登校していること、親がうるさくて閉口していること、プチ整形をしたいこと、などを話してくれました。 「プチ整形?」 「目を二重にしたいんです。この顔じゃ生きていたくないです」 「生きるか死ぬかの問題なの?」と私。 「変ですか?」Kさんの目には、たじろぐ様子はありませんでした。 【生への価値観】 プチ整形で「生きる」ことを高めようと考える。馬鹿げたことのように聞こえますが、思春期の生に対する価値観は、大人とは違います。 大人のように、生きることをそのまま認めるのではなく、生きることを疑い、試そうとします。 大人にとって、その行動は、時として、原始的で、未熟にみえるかもしれませんが、生きることを感じ、その価値観を作り上げてゆくためには、大切な過程なのです。 【生きる証し】 2ヶ月後、Kさんが来院しました。 「したんですね」と私。 「はい」 「どうですか?」 「思ったより・・・だったかな」 聞き取れませんでしたが、生き生きとした表情でした。 とった行動の是非はともかくとして、Kさんは小さな「生きる証し」を手に入れたのでした。 それは自分の考えを実行できたこと。 次回は「不登校2」 |